浄土真宗の教え

浄土真宗の教え

阿弥陀如来の本願を信じ、ふつとなる。

阿弥陀如来の本願(念仏する者をもらさず浄土に救おうという約束)を信じ、念仏(南無阿弥陀仏)を称え、慚愧ざんきと報恩感謝の生活をさせていただくと、この世において次の世に、浄土に生まれることが約束され、命終わる時必ず浄土に生まれふつとなる。

親鸞聖人しんらんしょうにんについて

浄土真宗の宗祖 親鸞聖人(1172~1262年)の生涯

  • 父、日野有範のもと京都に生まれる。
  • 幼くして両親と死別された親鸞聖人(幼名:松若丸)
  • 9歳の時、青蓮院門跡慈圓和尚のもと出家し、範宴として僧侶の道を歩む。
  • 29歳の時、煩悩を消すことも、まして万人をすくうことも出来ないと比叡山をおりる決心をされました。誰もが救われる道を求め、聖徳太子を奉安した六角堂で百日参籠に臨む。95日目夢告があり、いよいよ比叡山を離れ、東山吉水の草庵に法然上人を訪ねに行くこととなる。当時、法然上人(1133~1212)は、どのようなものであっても救われるお念仏の教えを広めていた。親鸞聖人は感銘を受け、歩むべき道を見つけ、綽空と名を改め法然上人のもと念仏者の道を歩む。
  • 33歳の時、綽空から善信に名を改め、法然上人の著書「選択本願念仏集」の書写を許される。この頃から興福寺奏状が出されるなど念仏弾圧が激しくなり、ついには朝廷より念仏停止を受け、親鸞聖人は越後、法然上人は土佐に流罪となる。(聖人35歳 愚禿親鸞と名乗り非僧非俗の生活をする)
  • 39歳の時、流罪が許されるも京都には戻らず、妻の恵信尼公とともに関東(常陸)へと足を運ぶ。20年近く常陸(茨城県)を中心に活動をし、どんな人にも分け隔てなくお念仏の教えを広めていく。
  • 60歳の頃、『教行信証』を完成させるため京都に戻り、晩年は著書の執筆を進め90歳の御生涯を遂げる。