慧林寺について

ご挨拶

慧林寺は浄土真宗東本願寺派の寺院です。
宗祖親鸞聖人しんらんしょうにんが開顕された「本願を信じ念仏申さば仏となる」を旨として報恩感謝の生活を信条にしております。又本願寺第8代蓮如上人が実践せられたお念仏の集いを自信教人信の場として月3回の法話の会など、聞法専心をモットーに歩んでおります。ぜひ貴方も「法話の会」に参加して共に喜びを語らいましょう。 インターネットの普及は世の中の情報伝達を一新した観があります。これに呼応して慧林寺ではホームページをネット上にアップしました。
これまでの慧林寺便りも多くの方々に読んでいただけることも慧林寺の教化伝導に対する大きな役割と考えています。ぜひお一人でも多くの方々に浄土真宗のみ教えに出会って下さることを念願してご挨拶にいたします。

宗旨

東本願寺の宗祖は、宗祖親鸞聖人しんらんしょうにんであり、
本願寺の特質は、親鸞聖人以来連綿れんめんとして続いてきた血脈に有る。

宗名しゅうめい 浄土真宗東本願寺派
宗祖しゅうそ 親鸞聖人(見真大師)
本尊ほんぞん 阿弥陀如来
教典きょうてん 仏説無量寿経(大経)
仏説観無量寿経(観経)
仏説阿弥陀経(小経)
本山ほんざん 浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺

慧林寺の歴史

明治10年1877年 当時、豊平村・平岸村・月寒村・両白石村と人口増加が進み信徒数も100戸を超え、寺院建立を切望するも、東本願寺別院の二里政策(別院より二里離れなければならない)によりなかなか許可が下りることはなかった。
羽部篤行氏が中心となり、現在地に土地取得し、寺院建立の礎を築き、札幌別院の副輪番をしていた山田恵林師が願いを受け羽部家に養子として入る。
明治24年1891年 再度の上申により、「慧林寺」として寺号公称認可が下りる。
明治33年1900年 豊平に大火が起こる
明治35年1902年 開基住職隠居に伴い、越後国中の島 光正寺23世住職夫妻(羽部大超師 旧姓駒澤)が養子として入籍し、二世住職とし教化布教に勤める
明治41年1908年 前本堂建立
大正13年1924年 鐘楼堂建立
昭和9年1934年 二世住職逝去に伴い、三世住職として羽部大照師が学業中(20歳)でありながら跡を継ぎ、戦前戦後を通じ教化布教に勤める
昭和24年1949年 戦争のために没収され、失っていた梵鐘を鐘楼堂に新設
昭和47年1972年 三世住職逝去に伴い、四世住職として羽部大仁師が学業中(21歳)でありながら跡を継ぎ、教化布教に勤める。
平成3年1991年 寺号公称100年を記念し現本堂、会館・納骨堂を新築する
平成23年2011年 親鸞聖人750回御遠忌事業として新会館・納骨堂を増改築する。

慧林寺便り

慧林寺の行事や日々の出来事をお知らせする「慧林寺便り」を毎年3・6・9・12月の各5日に計4回発行しています。ホームページでは過去2年間の「慧林寺便り」を掲載しています。

慧林寺婦人会

共に喜びを語らい、教えを広げましょう

慧林寺婦人会の発足は慧林寺創立と共に今日迄けふまで確かな歩みを運んで参りました。既に120年の歴史を重ねております。
平成10年に東本願寺派婦人会が発足に伴い支部となり、連帯を持って活動しております。毎月25日は午後1時から定例のお座を開いて皆さまのご参加をお待ちしております。ご一緒に正信偈しょうしんげをお勤めさせていただきます。その後住職をはじめ、数多くの講師の先生からご法話を聞かせて頂き、忙しい毎日の生活を振り返って一時を有意義に過ごさせて頂きたいと存じます。

[東本願寺派婦人会信条]
  1. お念仏と共に心豊かな家庭生活を致しましょう
  2. 寛容(柔和忍辱)と感謝(和顔愛語)の心で和やかな社会を築きましょう
  3. 未来を担う子供達に仏様と共に生きる喜びを伝えましょう

年会費/ ¥2,500

[特典] 東本願寺派婦人会制作の小冊子『さくら』を年4回配布
[行事] 毎月25日……『婦人会定例法座』を開催
10月30日……婦人会報恩講・物故会員追悼法要及び総会
毎年……レクリエーションとして、道内各地へ日帰り旅行を実施